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東京地方裁判所 昭和54年(行ウ)95号 判決 1980年11月04日

原告

吉田正雄

外五名

原告六名訴訟代理人

長谷川泰造

外二名

被告

町田健彦

被告訴訟代理人

堀家嘉郎

外二名

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一原告の請求原因1、2及び5の事実<編注・原告らの原告適格、本件挨拶文を掲載した区報の配布、監査手続の経由>については、当事者間に争いがない。

二そこで、本件挨拶文を本件区報に掲載し、これを発行したことが、公職選挙法一七八条で制限されているところの「当選に関し、選挙人に挨拶する目的をもつて」、「文書図画を頒布し」又は「新聞紙を利用すること」に該当するか否かについて検討する。

1  まず、本件挨拶文の内容をみると、別紙<省略>のとおり、「就任にあたつて 荒川区長町田健彦」の表題の下に、被告の生い立ち、政治理念、区政担当の決意を述べ、区民の協力、支援を訴えた部分が中心で、全文四九行中約三三行を占めており、これらの部分が区長就任に当たつて区民に挨拶することを目的としたものであることは明らかというべきである。

しかし、他方、本件挨拶文の中には、原告らも指摘するとおり、「このたびの区長選挙に際しまして、区民のみなさまの深いご理解とご協力、ご支援により当選させていただきました。本当にありがとうございました。心から厚く御礼を申しあげます。」(冒頭五行)、「明日の荒川のあり方について深く憂い、『何とかしなければ』という気に燃えて区長選に立候補し、当選の栄を区民のみなさまによつて与えていただいたのでございます。」(一〇行目ないし一三行目)、「幸いにも私の政治理念ならびに政策に対しまして、あたたかいご理解をいただき、私も心から深く感謝申しあげているところでございます。」(二三行目ないし二六行目)及び「当選させていただきましたお礼をもふくめ新しい区長としての就任のごあいさつといたします。」(末尾三行)との文言があり、これらの文言は、それ自体を取り出してみれば当選に関する挨拶の文言として受け取ることも可能である。

そこで、右のような内容の本件挨拶文を本件区報に掲載し、これを発行した目的を知るためには、本件区報の性格、掲載に至る経過、その時期、方法等について更に検討し、これらと挨拶文の内容を総合勘案して判断する必要がある。

2  <証拠>によると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(一)  荒川区においては、企画部広報課が所管課となつて、広報紙「あらかわ区報」を毎月一日と一五日の二回(ただし、一月、四月及び八月は一五日の一回)定期的に発行し、区の行政、行事、催物等の伝達、周知を図つている。「あらかわ区報」の一回の発行部数は約八二、〇〇〇部で、そのうち約七九、〇〇〇部は新聞折込みによつて荒川区内のほぼ全世帯に配布され、残りは区民が自由に取得できるよう区役所、同出張所、駅スタンド等に置かれる扱いとなつている。

(二)  昭和五〇年五月一五日発行の「あらかわ区報」第二七二号には、区長公選制復活後の初めての区長である国井郡弥の「就任にあたつて」と題する挨拶文が掲載された。前記企画部広報課では、右の先例に倣い、昭和五四年四月二二日施行の第二回区長選挙で当選した被告の区長就任挨拶文を「あらかわ区報」に掲載することを計画していたが、私鉄ストと連休を控え、同年五月一五日発行の本件区報の原稿は同年四月二一日で締め切り、同月二四日にはその割付けも終えていたため、右挨拶文の掲載は次号に回す予定にしていた。しかし、同月二六日に至り、私鉄ストの解決によつて、同日中に原稿が整えば本件区報に右挨拶文を掲載することが可能な情勢となつたため、急きよ荒川区教育長に字数一、〇〇〇字程度として右の原稿作成を依頼し、その原稿を趣旨説明のうえ被告に示し、若干の字句の修正を受けて本件区報の第一面に割り付けたうえ、これを印刷に付し、校正刷りも被告に見せ、本件区報を完成するに至つた。

(三)  本件区報は、B四判四ページの構成で、本件挨拶文は、その第一面右端の枠内に被告の顔写真と共に掲載され、右掲載部分は、第一面の記事の約三分の一を占めている。本件挨拶文のこの扱いは、前任区長の場合とほぼ同様である。

(四)  そして、本件区報は、従来の方法で、予定された時期に荒川区の区民に配布された。

3 以上のとおり、本件区報は荒川区の広報紙であり、本件挨拶文のため特に発行されたものではなく、あらかじめ発行時期の決まつていた定期刊行物であること、本件挨拶文は区長選挙とは無縁な荒川区の企画部広報課及びその依頼を受けた教育長の手であらかじめ準備され、被告はこれに若干の字句の修正を加えたにすぎないこと、本件挨拶文の掲載は前任区長の挨拶の例に倣つたもので、区長就任直後に行われたこと、本件区報における本件挨拶文の扱いは、前任区長の場合とほぼ同様で、区長就任挨拶文の扱い方として特に異常な点はないこと、そして本件挨拶文自体も区長就任挨拶の部分が中心を占めていることを総合勘案すれば、本件挨拶文を本件区報に掲載し、これを発行した行為が、区長として区民に就任の挨拶をすることを第一の目的としたものであることは明白というべく、当選に関して選挙人に挨拶するためになされた行為ということはできない。

4 もつとも、本件挨拶文の掲載、発行が区長就任挨拶のために行われたものであるとしても、その中に当選に関する挨拶として受け取ることも可能な文言が含まれていることは、1で述べたとおりである。そして、右文言を<証拠>によつて認められる他の広報紙の区長就任挨拶文の文言と対比してみても、いささか直截的な当選の謝辞が目立つことは否定しがたいところである。

しかし、公選によつて選出される区長の場合、もともと当選と区長就任とは表裏一体をなしており、立候補の決意がそのまま区長就任の決意となり、選挙運動中に区民に訴えた政策が区長としての政策に引き継がれ、選挙の結果に表われた民意は区政に反映させるべき筋合のものである。したがつて、区長としての就任挨拶の中で選挙の結果について言及し区民の支持に謝意を表明する部分があつたとしても、それは区長就任と無縁なことを付加したものではなく、その部分が当該就任挨拶全体からみて付随的、儀礼的なものであるときは、区長就任挨拶そのものの一部をなすものと認めるのが相当であつて、これを直ちに公職選挙法一七八条にいう「当選に関し、選挙人に挨拶する目的」の行為と解すべきではない。元来、選挙期日後の挨拶は選挙運動とはいえないものであり、それ自体は社会生活上通常のことと考えられるものであるが、その方法如何によつては多くの費用を要し事後買収等の弊も少なくないところから、公職選挙法一七八条は、選挙期日後に当落に関し挨拶することを目的とした行為を一定の範囲で制限したものであり、この趣旨に照らすと、区長就任挨拶などのような正当な社会的行為の中に外形上当選に関する挨拶と目される文言がいささかでも含まれていればすべて同条による規制の対象(同法二四五条による処罰の対象)になり得るとすることは、行きすぎというべきである。

右の見地から本件挨拶文をみると、確かに前記のとおり当選の謝意を表明する文言が一個所ならず用いられており、公職選挙法の規定に対する配慮と慎重さを欠いているとの批判は免れないが、前記2で認定した本件区報の性格等を併せ考えながら本件挨拶文全体を通してみれば、右文言も、実質的には、公選によつて選出された区長が、その就任に当たり、区長としての抱負経綸を述べ区民の協力を訴えるのに付随して、儀礼的に選挙における支持に謝意を表したということ以上の意義をもつものであるとは認めがたいところであつて、本来の区長就任挨拶の一部たり得る限度を超えるまでには至つていないと解するのが相当である。

5 以上により、本件挨拶文を本件区報に掲載し、これを発行したことは、公職選挙法一七八条で制限されているところの「当選に関し、選挙人に挨拶する目的をもつて」、「文書図画を頒布し」又は「新聞紙を利用すること」には該当しないというべきである。<証拠>によれば、被告が当選した区長選挙は激戦であつたことが認められるけれども、そのことはいまだ右認定を左右するものではない。

三そうすると、本件挨拶文を掲載した本件区報を発行したことが公職選挙法一七八条の規定に違反することを前提として、その発行のための公金支出の違法をいう原告らの請求は、右前提において失当というべきである。

四更に、本件挨拶文を掲載、発行したことが公職選挙法一七八条の規定に違反するとした場合の荒川区の損害について検討するに、本件挨拶文の掲載により本件区報の他の記事の価値に変動が生じ、本件区報が区の広報紙として発行するだけの価値を喪失したものとは到底いえない。そして、本件区報は、本件挨拶文の掲載の有無にかかわらず当然発行を予定されていたものであつて、荒川区はその費用を支出したにすぎず、本件挨拶文の掲載に伴い特別の経費を支出したわけではないから、荒川区には財産的損害が発生していないものというべきである。

原告らは、本件挨拶文は本件区報の三分の一ページを占めているから、少なくともその分の印刷費三六、四三七円(一ページ当たりの印刷費単価一円三二銭五厘に三分の一を乗じ、更に印刷部数八二、五〇〇を乗じた金額)相当額の損害が生じていると主張する。しかし、前記のとおり本件区報の印刷費は、一ページ単位で契約されているのであり、前掲乙第一号証によれば、本件挨拶文の掲載により本件区報のページ数が特に増加しているとも認められないから、本件挨拶文の掲載が右印刷費に消長をきたしているとはいえないのである。

したがつて、この点においても、原告らの請求は失当というべきである。

五以上のとおり、原告らの本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条並びに民事訴訟法八九条及び九三条一項本文の規定を適用し、主文のとおり判決する。

(佐藤繁 泉徳治 岡光民雄)

別紙 「就任にあたつて

荒川区長 町田健彦」

(本件区報挨拶文)<省略>

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